生成AIの利用と米国特許訴訟における秘匿特権 ― Heppner判決が示す実務上の示唆
- IPBIZ DC
- 11 時間前
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近時、生成AIの利用が弁護士秘匿特権(attorney-client privilege)やワークプロダクト特権を自動的に失わせるのではないかとの議論が広がっています。2026年2月17日にニューヨーク南部地区連邦地裁が言い渡した United States v. Heppner 判決は、この論点に明確な方向性を示しました。ただし、この判決は生成AIを特権と両立しないものと断じたわけではありません。裁判所は、あくまで従来の技術中立的な特権法理を新しい技術に適用したにすぎません。
Heppner事件では、被告人が弁護士を選任した後、自らの判断で公開型生成AIプラットフォームを用い、防御戦略や法的主張を整理した文書を作成しました。その後、それらを弁護士と共有し、秘匿特権およびワークプロダクト特権を主張しました。しかし裁判所は、当該文書は保護されないと判断しました。理由は明快です。第一に、生成AIは弁護士ではなく、弁護士との信認関係も存在しません。第二に、利用規約上、入力情報が保存・利用・第三者開示され得る以上、合理的な秘密期待が認められませんでした。第三に、弁護士の指示や監督の下で作成されたものではなく、弁護士の思考過程を反映する資料ともいえませんでした。裁判所は、特権の有無は「誰が、どのような関係性の下で、どのような秘密保持構造のもとに」作成したかによって決まると整理しました。
この判断は刑事事件におけるものですが、その法理は米国特許訴訟にも十分に波及し得ます。特許訴訟においても、弁護士秘匿特権およびワークプロダクト特権は連邦共通法に基づき判断され、基本的な三要件テストは巡回区を問わず概ね共通です。したがって、企業の技術者や知財部門担当者が公開型生成AIを用いて非侵害論、無効理由、クレーム解釈案、FTO分析などを独自に作成し、後に弁護士へ共有した場合、Heppnerと同様の理由で特権が否定される可能性があります。
特許訴訟では、特に故意侵害(willfulness)の立証が問題となる場面において、この論点は重大な意味を持ちます。社内担当者がAIに対して特許リスクを問い合わせた履歴が開示対象となれば、主観的認識やリスク認識の有無を裏付ける証拠として利用される可能性があります。特権が否定された場合、その影響は損害賠償の増額判断にまで及び得ます。
もっとも、Heppner判決は、弁護士の指示および監督の下で、守秘義務契約やデータ非学習条項を備えたエンタープライズ型AIを利用する場合まで否定したものではありません。従来の United States v. Kovel 判例に基づけば、弁護士が法的助言を提供するために第三者を補助者として関与させ、その者が守秘義務の下で業務を行う場合、特権は拡張され得ます。生成AIも、適切な契約構造と監督体制の下では、この枠組みで評価される余地があります。
したがって、問題の本質は「生成AIを使ったかどうか」ではありません。重要なのは、その利用が弁護士の関与のもとで行われたか、そして合理的な秘密保持体制が構築されていたかという点です。特許訴訟リスクを抱える企業にとっては、公開型AIへの機密入力を制限する内部ポリシーの整備、エンタープライズ契約の締結、そして訴訟関連分析を弁護士主導で実施する体制構築が不可欠となります。
Heppner判決は、新たなAI例外を創設したものではありません。それはむしろ、特権法理の核心が依然として「弁護士の関与」と「合理的な秘密期待」にあることを再確認したものです。生成AIの活用が拡大する現在、特許実務においても、その利用方法の設計こそが、将来の訴訟リスクを左右する重要な経営課題となっています。

